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ELICOS修了後の道

今回の日記は書くか書かないか、すごい悩みました。
けれど、現実に起きたことなので、書くことを決めました。
日本で私を応援してくれる皆のために、今後の道をこれから
歩もうとしている自分のために・・・。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

今週でELICOS(一般英語コース)修了です。あっという間の6ヶ月でした。
最初、ワーキングホリデーVisaでこっちに来たときは全く英語がダメでした。
最後はUpper-intermediate(中上級)のクラス並のIELTS準備コースに・・・。

その後はTESOLだよねーと思っている方が居ると思いますが、
残念ながらTAFE側のTESOLコースの先生からTESOLコースに
DEAF学生を受け入れるのは無理と先月の初めにあったミーティングで言われました。

そのとき、私はすんごい怒りましたし、ショックを受けました。
なぜかというと、学生Visaを発行してもらうためには、まず学校に入学許可書を得る
必要があるのです。6か月分をELICOS、残り6か月分をTESOLコースと
申し込んだとき、DEAFであることを伝えました。
向こうもそれを分った上で、入学許可書2つを発行してくれ、
学生Visaを得ることが出来たのです。

それだけではなく、私がELICOSに入ったときからIELTSに関する情報
(DEAFに対して・・・。)を教えてもらうよう何度も要望を出したのですが、返事がなく・・・。

ということは・・・残り半年はどうなるのかというと、もしELICOSに通うとしたら
また入学許可書を発行してもらう必要がある上に、私が目標していたものを
TAFEが見事に壊したので、目標の無いまま通うのは意味がないことで
最後までTAFEに抗議し、私からの要望に対して、クリスマスホリデーに入る前に
返事をするといったのに、結局、間に合わず、クリスマスホリデーが終わったあとに
話し合いをしますと言われました。

クリスマスホリデーの間は眠れない、食べれないという日々が続き、暑さもあって、
しんどく、体調を崩してしまいました。(前回の日記でも書いたとおりです・・・。)

先週、話し合いをやりました。TAFEのトップマネージャーたちと・・・。
返事は全く同じでした。

IELTSに関する情報は前、私がお世話になったDisability Servicers officerの
Heideさんがきちんと提供しなかったので、彼女に責任があるのですが、
既に他の所へ移ったので、文句は言えないといわれました。

TESOLの正式名は『Teaching English speaker of other language』
そのコースのプログラムにSpeakingとListeningに関するレッスンがあるのです。
学生が英語で会話するとき、間違いがあったとき、どうやって指導するのかを
学ぶとか英語テープ(CD)で聞き取りレッスン中に、どうしても聞き取れなかった部分を
どうやって生徒に教えるとかいろいろあるのです。

TAFEのトップマネージャーが「DEAFである君はそれができない。」
だったらAuslan(オーストラリア手話)があると伝えたのですが、
AuslanとEnglishは違うと・・・。
WritingとReadingだけを学ぶことは出来る。けれど、修了書を発行できないと・・・。
出来ない部分をカバーして、皆と同じようにTESOLの修了書を貰うことが出来るはず
などなど抗議をしたり日本にいるDEAFがいつか海外留学するときにサポートしたい
など説明したりしたのですが、TESOLのプログラムに沿って、
授業を進めているのだから無理と。

向こうから
①TESOLコースの前払い金額と海外留学生保険の半年分を還す→帰国する
②1月のIELTS試験で5.5以上取れたら、他のコースへ行ってもOK
③今までどおり、ELICOSに通いながら夜間開講のAuslanコースに通う

といった案を出されました。
いろいろ悩んだ挙句、『帰国』を選びました。
私にとってしんどい選択でした。

日本に居るDEAFたちに地域で、Auslanを使いながら英語を教えるといった夢を
持っていたので・・・。
Australian DEAFが日本に来たら通訳として日本の文化などを案内できる・・・。
その夢のためにこの半年間、ELICOSに通ったから・・・。
それではなく、いつか日本のDEAFがAUSのTAFEや大学へ進学したいときや
ワーキングホリデー&観光でAUSのDEAFたちと会話したいとき、Auslanを
日本で学びたい人が居る・・・。

それをキャサリンに話をしました。
私の話が終わったあと、たくさん泣きました。彼女も泣きました。
ジィアーもショックを受け、「寂しい。もっと居て欲しい。」と。

それだけではなく、私がやりたいと思っていたものがメルボルンにある大学と
TAFE一校があることをキャサリンに伝え、今回の帰国は『一時帰国』だから、
また今年の6月か7月にオーストラリアへ戻ると約束しました。
けれど、私がブリスベンで生活することは2度とないこと・・・。
私もキャサリンもそれを受け入れるのに時間がかかりました。(今でもまだ・・・。)

キャサリンが「Akubi,You should never give up!」と。
ええ、諦めません。絶対に。

2月の終わりに日本へ『一時帰国』をします。
そして、6月にまたAUSへ再び渡れるよう・・・。

by akubi-25 | 2009-01-11 17:03 | Australia&New Zealan  

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